1943年、九州は博多生まれ。幼少期から川や池で魚獲りや魚釣りで遊び、中学〜高校では生命の神秘に魅了され、大学では医学に魅了され、脳外科医となった。1974年(31歳)には神奈川県相模原市の北里大学に赴任して、テレビのERもどきの血みどろの生活を経験した。1980年(37歳)、脳腫瘍の研究のためにニューヨークに留学。そこでは急患から解放され、勉強だけしていればいい夢のような毎日だった。
その留学の帰りに車でアメリカ〜カナダ西部を1ヶ月間旅行し、キャンベル・リバーで鮭を釣って運命的な衝撃を受けた。これからは〈釣りをやる!〉と決めたのだった。帰国して1年は餌やルアーで大物を狙っていた。あるとき、早朝の箱根芦ノ湖で、鏡のような湖面にひろがる一面のライズに遭遇し、ボートから持っていたルアーをすべて投げたが一匹も釣ることができなかった。そのとき、〈フライをやろう。フライをやらなきゃソンだ〉と思った。それまでフライをやりませんかと誘われていたが、フライフィッシングをやっている人たちの何となく尊大な雰囲気がイヤで、〈いや、僕はルアーで十分釣れてますから〉と断っていた。それが、完全に吹き飛んでしまったのだった。
1981年から後は、ダムが決壊して水がほとばしり出るようにフライフィッシングにのめり込んでいった。私はハマルたちらしく、やり始めたら他のことは目に入らない。おまけに相手が難しいとよけいにやる気が出てきてしまうので、始末がわるい。これから先は皆さんとご同様だと思うので省かせてもらおう。ただネ、始めてからの10年はほんとうによく釣りに行ったヨ。休日には必ず、必ずですゾ、釣りに行き、夜遅くまで川にいて、深夜に帰宅した。まさに狂っていたと言っていいだろう。そんな私も昨年は還暦となり、すこし落ち着きが出てきたのではないか、と思っている。
最近、ある言葉に遭遇した。私はフランス語はまったくダメなのだが、このくらいは辞書をひけばわかる。釣り気違いは昔から、どこの国にもいたのだネ。
"LA PÊCHE EST MA FOLIE" DUC DE CHOISEUL, 1761
(釣りこそわが狂気、 ショワスウェール、1761)
私の生きていくための手段
・フライフィッシャーマン
ときどき釣りの文を書いて原稿料をいただくことがある。
・磯部クリニック院長
・北里大学脳神経外科客員教授